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[2章] 聖嶺鳳学園の日常 フォールド・ストライク前編

ダブルダイスプレディクト

聖嶺鳳学園の日常 フォールド・ストライク前編


聖嶺鳳学園 2-1


「あの、おはよう天城君」


ハヤトは教室に入るなり、カバンを置くのももどかしく隣の席のリョウに声をかけた。

「ああ、おはようハヤト」

席に座っていたリョウは、向けられた挨拶に短く応じると、すぐに視線を窓の外へと戻した。


「あの……昨日も思っていたんだけど、窓の外に何かあるの?」

ハヤトが純粋な疑問を投げかけると、リョウはふっと表情を和らげた。

「何もないさ。ただ、こうして遠くを眺めていると落ち着く、というだけだ」

「そうなんだ……」


「そうだ。今から屋上にでも行かないか? ここよりもさらにいい景色が見られるぞ」

「天城君と一緒なら……行ってみたいな」

「はは、そうか。じゃあ行こう」

リョウは軽やかに席を立ち、迷いのない足取りで歩き出す。

ハヤトはその背中を追うように後ろについた。


「あの、桜庭君は?」

「ギンタか。あいつは朝が苦手でな、いつもギリギリに来るんだ」

「へぇ……意外。覚えておこうっと」


ギンタの意外な弱点を知り、ハヤトは少しだけ親近感を覚えた。


聖嶺鳳学園 屋上

他愛のない会話を交わしながら階段を上がり、重い鉄扉を開ける。

そこには、遮るもののない青空と、鼻腔をくすぐる澄んだ空気が待っていた。

ハヤトは子供のように手すりまで駆け寄り、眼下に広がる街並みを眺めた。


「天城君! 凄いや……!」

キラキラと瞳を輝かせるハヤトを、リョウは眩しそうな目で見守る。

「はは、本当に子供みたいだな」

リョウは屋上に設置されたベンチに腰を下ろし、ハヤトと同じ方向の景色を眺めた。


「よくここに来るの?」

ハヤトが傍らに寄り添い、リョウに尋ねる。

「時々な。……それと、これだ」

リョウがスマホを取り出し、専用のアプリを操作し始めた。

ハヤトが不思議そうに覗き込む。


「この学園には、どこへでも品物を届けてくれるデリバリーシステムがある。もちろん相応のSSPが必要だが……これを使えば、ここで朝食をとることも可能だ」

「凄いね、この学園って。僕も早くSSPをたくさん持ちたいな……」

「そうだな。SSPを稼げば……俺の隣を歩けるぞ」

「え? ……今、もう隣を歩いてきたんだけど」


ハヤトは困ったようにリョウの目を見つめたが、その言葉の真意までは測りかねた。

再び都会の景色に目を向けてから数分後。


「お待たせいたしました、天城様」

一人の生徒が、丁寧に紙袋を抱えて現れた。

片手サイズのホットドッグと、アールグレイの香りが漂うホットティー。

「ああ、ありがとう」

「失礼します」

品物を手渡した生徒は、一礼して風のように去っていった。


「本当に……天城君って凄いね」

ハヤトが感心したように溜息をつく。

「ほら、腹が減っているだろう。食べていいぞ」

リョウは紙袋から温かいホットドッグを取り出し、ハヤトに差し出した。


「えっ、でもこれは天城君が頼んだものだし……」

ハヤトが遠慮した、その瞬間だった。

――グゥ、と。

静かな屋上に、ハヤトの空腹の音が情けなく響き渡る。


「うぅ……このタイミングで……」

顔を赤くして俯くハヤトを見て、リョウは堪えきれずに小さく吹き出した。

「ははは! お腹は正直だな」

リョウは悪戯っぽく、ハヤトの腹をつんつんと突いた。

「ぷにぷにだな、ハヤトの腹は」

「ちょ、ちょっと……そんなに触らないでよ!」

「そうか……ギンタといい勝負だな」


リョウは興味が逸れたかのように手を離し、優雅な所作でホットティーを口に運んだ。

「即席だが、味は悪くない。ハヤト、早く食べろ」

「い、いただきます……」


促されるまま、ハヤトはホットドッグを頬張った。

「! 美味しい……!」

空腹だった胃に、上質な肉の旨味とパンの甘みが染み渡る。

気づけば勢いよくがっついていた。


「はは、面白いなハヤトは。……太るぞ?」

リョウの揶揄いに対し、ハヤトは口をいっぱいに膨らませながら答えた。

「……これは、天城君がくれたものだから」

そう言って、最後の一口まで一気に完食してしまう。


リスのようにモグモグと口を動かすハヤトを眺めながら、リョウは静かにホットティーを飲んだ。

朝の光に照らされた二人の影が、屋上のコンクリートに長く伸びていた。


聖嶺鳳学園 屋上

「さて、食事も済んだことだし教室に戻るか」

リョウは手際よく紙袋を片付け、腰を上げた。

「うん。ありがとう、天城君」

「ああ」


聖嶺鳳学園 廊下

二人は屋上の扉を抜け、静かな校舎へと戻る。

その道すがら、ハヤトはふと足を止めた。

「あの、天城君」

「どうした?」

「僕、ちょっとトイレに寄ってから行くよ」

「分かった。教室で待ってる」

「うん、すぐ行くね」


リョウの後ろ姿を見送り、ハヤトは近くの男子トイレへと駆け込んだ。

しかし、用を足して廊下に出た瞬間、彼は凍り付く。


「……あれ。教室、どっちだったっけ……」


屋上への道はリョウについて行くのに必死で、景色を覚えていなかったのだ。

左右に伸びる無機質な廊下を前に、ハヤトの心拍数が跳ね上がる。

その時だった。


「あれぇ? 君って、昨日転入してきた子だよね?」


背後からかけられた粘りつくような声。

ハヤトは反射的に冷や汗をかいた。


(この学園はSSPを奪い合う場所だ……。もしかして、この人も……)

身構えるハヤトの前に、一人の男子生徒がにこやかに現れた。


「学園生活には慣れたかい? こんなところで何をしてるんだい?」

好奇心と独占欲が混ざり合ったような視線が、ハヤトの頭の先から足の先までをねっとりと品定めするように這う。


「え、えっと……道に迷っちゃって……」

「へぇ、迷子なんだ」

次の瞬間、ハヤトの視界が反転した。


「わっ……!?」

男子生徒が、ハヤトの身体を抱きしめるように強く引き寄せたのだ。

「ちょっと、何!? 離してよ!」

「あぁ……君、すごくいい感触だね。僕の『ペット』に最適だよ」

「な、何を言って……っ」

胸元に顔を埋めてくる相手を、ハヤトは必死の思いで突き飛ばした。


「あぁ、ごめんごめん。驚かせちゃったね。僕は三影(みかげ)ダイチ。君の名前は?」

「……宇田川ハヤト」

「ハヤト君ね。いい名前だ」


ダイチは機嫌を損ねる様子もなく、どこか楽しげに微笑む。

「迷ったって言ってたよね。僕が案内してあげてもいいよ」

「……本当?」

「ああ。その代わり――」

ダイチの瞳が、獲物を狙う爬虫類のように細められた。

「放課後、僕と『ゲーム』をしてほしい」


「ゲーム……!?」

「そう、ゲーム。この学園の序列を決める、SSPを賭けた勝負だよ」


ハヤトの脳裏に、昨日のリョウとの対局が蘇る。

天城君は言っていた

――この学園は汚い。

勝つためにどんな手段でも使うと。

当然、目の前の三影君も、甘い顔をして裏で牙を研いでいるに違いない。


「……やらないの? なら、僕はここまでだ。ここで一人、トイレにでも籠もっていなよ」

ダイチは興味を失ったように背を向けて歩き出す。


「あ、ちょっと待って……!」

その声に、ダイチの口角が吊り上がる。

振り返った彼の表情は、一見すると親切な先輩のそれだった。


「どうしたの?」

「……やるよ。ゲームをするから、案内してほしい」


ハヤトの返答に、ダイチはさらに「教育者」のような冷酷さを滲ませた。

「人にお願いをするときは、もっとしっかり頭を下げないとダメだよ?」

いじらしく、しかし逃げ場を塞ぐような言い草。

ハヤトは屈辱に震えながらも、ゆっくりと頭を下げた。


「……お願いします。案内してください」


「いいねぇ、ハヤト君。君は……すごく『調教』のし甲斐がありそうだ!」


ダイチは、拒絶を許さない力強さでハヤトの手を握った。

「こっちだよ」

引かれる手。

逃げられない約束。

ハヤトはダイチの背中を見つめながら、自ら次の戦場へと足を踏み出すのを感じていた。


ダイチに手を引かれ、数分。

ようやく見覚えのある景色が視界に飛び込んできた。

ハヤトは胸を撫で下ろすが、隣を歩くダイチの言葉に再び身体を硬直させる。


「ハヤト君は2-1だよね。僕は2-10……別の校舎なんだ」

「そ、そうなんだ……」

「でも、逃げようなんて思わないでね。僕はこれでもSSPの序列(ランク)は結構高い方だから」


ダイチの横顔に、先ほどまでの甘い笑みとは違う冷徹な光が宿った。

「もし逃げたりしたら……『逮捕』してもらうからよろしく」

「た、逮捕!?」

「そう。SSPの特権だよ。この学園で下手な口約束はしない方がいい。誓約を破った不届き者は、上位者の権限で拘束できるんだ」


背筋に氷を押し当てられたような感覚がハヤトを襲う。

「に、逃げないよ……そんな話を聞いたら、なおさら……」

「そうだよね。ハヤト君なら分かってくれるよね」


ダイチは満足そうに目を細めると、廊下の先を指差した。

「この道を真っ直ぐ行けば教室に着くよ。……じゃあ、放課後。さっきのトイレで待ち合わせ、でいいかな?」

「え、さっきのトイレ……?」

「うん。場所が分からないなら、アプリの構内図を使ってね。じゃあ」


嵐のような威圧感を残したまま、ダイチは颯爽と去っていった。

一人残されたハヤトは、震える手でスマホを取り出し、SSPアプリのメニュー欄を叩く。

そこには確かに【構内図】の項目が存在していた。


「……嘘だろ。最初からこれを使っていれば……」

冷や汗が止まらない。

自分がもっと慎重にアプリを確認してさえいれば、ダイチのような危険な男と「ゲーム」の約束を交わす必要などなかったのだ。

自分の不注意が、自らの首を絞めた。


重い足取りで廊下を進むと、ダイチの言葉通り2年1組の教室が見えてきた。

ガラガラと扉を開けると同時に、朝のホームルームを告げるチャイムが校舎に鳴り響く。


「遅かったな、ハヤト。迷ったのか?」

席に着くなり、隣のリョウが静かに声をかけてきた。

「う、うん……色々あって……」

「……何かあったのか?」


リョウの瞳が、ハヤトの強張った表情を鋭く射抜く。その視線から逃げるように、ハヤトは

「いや、なんでもないよ」

とはぐらかした。 不敵な三影ダイチとの約束、そして『逮捕』という物騒な言葉。

リョウに相談すべきか迷ったが、自分の失態を明かす勇気が出なかった。


そのタイミングで教師が教室に入り、生徒たちの私語がピタリと止む。

「――では、朝のホームルームを始めるぞ」


教師の淡々とした声が響く中、ハヤトの心は放課後の約束に支配されていた。

こうして、戦略と遊戯に満ちた一日の学園生活が、再び幕を開けた。


聖嶺鳳学園 2-1

放課後を告げるチャイムが、ハヤトには死刑宣告の鐘のように聞こえた。

授業の内容など、何一つ頭に入っていなかった。

ハヤトはリョウの鋭い視線から逃れるように、彼らが教室の前方で作業に没頭している隙を突き、後方の扉から音を立てずに教室を抜け出した。


聖嶺鳳学園 男子トイレ

迷路のような廊下を、アプリの構内図を頼りに進む。

辿り着いたのは、午前中のあの男子トイレだった。


「やぁ、早いね。やる気満々じゃん」


背後から、出口を塞ぐように影が落ちた。

振り返ると、そこには朝と変わらぬ、しかしどこか獲物を追い詰めた愉悦を湛えたダイチが立っていた。


「あ、あの……やっぱり、ゲームは……」

ハヤトは絞り出すような声で、土壇場の拒絶を試みた。

「やりたくない、ってこと?」

「う、うん……。この学園のこともまだよく分かっていないし、ルールも……」


「そっかぁ。やりたくないのかぁ」

ダイチの声が一段低くなる。


彼は一歩、また一歩と、逃げ場のないトイレの奥へとハヤトを詰め寄らせる。


「な、なに……?」

ハヤトの背中が冷たい壁に当たった。

逃げ道はない。


「ゲームがやりたくないなら、仕方ないよね」

ダイチが唐突に相好を崩した。


だが、それは救いの笑みではなかった。

ダイチはいきなりハヤトに飛びかかると、強く抱きしめた。


「だったら、僕が満足するまで抱きしめさせてよ!」

「ちょ、ちょっと……っ!」

ダイチは力任せにハヤトの胸に顔を埋め、深く息を吸い込む。

抵抗しようとするハヤトの手を封じ、その執着は次第にエスカレートしていった。


カチャ、カチャ……。

静かな空間に、金属が擦れ合う不吉な音が響く。

ダイチの手が、ハヤトのズボンのベルトにかけられていた。


「だ、ダメだよ……! 何してるの!」

「だってゲームしたくないんでしょ? だったら、僕の気が済むまで触らせてもらうよ。君が泣いて謝るまでね!」


ダイチの目は完全に座っていた。

力任せにハヤトを床へ押し込もうとし、抵抗を暴力的なまでの愛撫でねじ伏せようとする。


「わ、分かったから! ゲームする! ゲームするから!!」


もみくちゃにされながらハヤトが悲鳴に近い声を上げると、ピタリとダイチの動きが止まった。

「……ホント?」

「う、うん……約束するから……」


ダイチはそれまでの狂乱が嘘だったかのように、スッと身を引いた。


残されたのは、Yシャツの裾が追い出され、髪も服も無惨に乱れたハヤトの姿だけだった。


「……あは、いい顔。最初からそう言えば良かったのに」

冷徹な勝負師の顔に戻ったダイチが、乱れた衣服を整えようともしないハヤトを、冷たく見下ろした。


ダイチは持ってきた袋の中から、無機質な折り畳み式の箱を取り出し、手慣れた様子で組み立てた。


その目は、獲物を罠にかける猟師のような冷たい光を宿している。

カバンから取り出されたのは、白紙のカードとペン。

「ハヤト君、この白紙のカードを5枚渡すから、グー・チョキ・パー、好きなものを描いて」

「……何個でもいいの?」

「そう。グーが好きなら全部グーでもいいよ」


ダイチはそう言い残すと、自分用の5枚のカードにさらさらと手のイラストを描き始めた。


(三影君が集中しているうちに、今なら逃げられる……)


ハヤトの脳裏に一瞬、逃走の二文字が浮かぶ。

だが、朝の言葉が呪縛のように彼をその場に縫い付けた。


(……ダメだ。もし逃げたら、本当に『逮捕』されるかもしれない。そうなったら、もう天城君の隣にはいられない)


震える指先で、ハヤトは渋々ペンを走らせた。


「描けた?」

「う、うん……」

「ありがとう、ハヤト君。イラスト、上手いね。ますます気に入っちゃったよ」


ダイチは、ハヤトが描いたカードと自分のカードを無造作に合わせ、念入りにシャッフルしてから組み立てた箱へと投入した。


「じゃあ、ゲームの説明をさせてもらうね」


ダイチは箱を抱え、艶めかしい笑みを浮かべてハヤトを見据えた。


「僕たちがこれからやるゲームは『フォールド・ストライク』。……いわゆる野球拳だよ」


ダイチの声は、放課後の静まり返った教室に妙に滑らかに響いた。ハヤトの背筋に、冷たい蛇が這い上がるような戦慄が走る。


「ルールは至ってシンプルだ。この箱の中から、互いに一枚ずつカードを引く。そこに描かれた『手』で、僕とじゃんけんをする。それだけさ」

「野球拳ってことは……」


ハヤトが言葉を喉に詰まらせると、ダイチは淡々と、しかしどこか楽しげに宣告を続けた。


「そう。負ければ衣服を一枚ずつ脱いでいく。身に纏うものがなくなった方の負けだ」


有無を言わせぬ圧迫感。

ダイチはハヤトの震える肩をなめるように視線でなぞり、事務的に「処刑」の順序を告げる。


「全部脱ぐ必要はないよ。下着姿にさせられたらおしまいだ。ハヤト君の場合、まずはブレザー、次にベスト、シャツ、最後にズボンといこうか」

「……っ。でも、なんで下着まで? 僕としては、その……裸を晒されるよりは助かるけど……」


あまりに理不尽な提案に、ハヤトは困惑を隠せない。

するとダイチは、獲物を追い詰めた肉食獣のような笑みを浮かべ、口角を吊り上げた。


「『秘すれば花』という言葉を知っているかい? 剥き出しの肉体なんて、僕に言わせれば興ざめだよ。隠された部分があるからこそ、そこには美学が宿る。僕は君の、その『見えない境界線』を鑑賞したいんだ」

「……変な人だ……」


生理的な嫌悪感が口をついて出たが、ダイチは気にした風もなく言葉を重ねる。


「ルールに戻ろう。互いにカードを引いた後、『フォールド宣言』をして勝負を流すことができる。ただし、その直後のターンで負けた場合はペナルティとして服を二枚脱がなければならない。当然、連続フォールドは禁止だ」

「二枚も……」


リスクを伴う戦略。ハヤトの脳裏に、かつてリョウが残した警告がリフレインする。

(運だけでは不十分。きっとこのゲームも、三影君に有利な仕掛けがあるはず……探せ、見つけないと僕は負けてしまうかも……)


思考の海に沈みかけたハヤトを、ダイチの冷徹な声が引き戻した。


「説明は以上だ。さあ、始めよう。運命の一枚を引いて」


差し出された箱は、口を開けた怪物の喉奥のように見えた。ハヤトは湿った手のひらを制服のズボンで一度拭い、意を決してその暗がりに指先を突き入れた。


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