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[4章] 聖嶺鳳学園の日常 日常Part1後編

ダブルダイスプレディクト

聖嶺鳳学園の日常


聖嶺鳳学園 2-1


二組の喧騒を離れ、一組の教室へと戻ったリョウは、背後を歩いていたハヤトを静かに振り返った。


「これがこの学園のルールだ。わかっただろう?」


突き放すような言葉とは裏腹に、リョウの眼差しは慈愛に満ちていた。

その温かさに触れた瞬間、ハヤトの緊張の糸がぷつりと切れた。


彼は周囲の目も憚らず、リョウの胸に勢いよくしがみついた。


「怖かった……本当に、怖かったよ……っ」


大きな瞳には、堪えきれなかった涙が薄く膜を張っている。


「全く、宇田川は……。場所を弁えろ」


傍らで控えていたギンタが、心底呆れたように吐き捨てた。

だが、リョウは嫌がる素振りも見せず、子供をあやすようにハヤトの柔らかな髪を撫でる。


「ハヤトも早く、SSPを稼がないとな。守られるだけでは終われないぞ」


そんな光景を、一人の男が興味深そうに眺めていた。

リョウの幼馴染であり、先日タロットでの真剣勝負を繰り広げたツカサだ。


「仲が良いんだな、天城と宇田川」

「ツカサか」


リョウが視線を向ける。

ツカサは横目でギンタの出方を伺いつつ、不敵な笑みを浮かべた。


「何か用か?」

「いや、ただ教室の前を通ったから挨拶をと思ってな。……で、宇田川が泣いているようだが、また何かに巻き込まれたのか?」


リョウの胸に顔を埋めたままのハヤトを見て、ツカサが尋ねる。


「ついさっき、学園の洗礼を受けただけさ」

「そうか。転入早々、不運な奴だ。……まぁ、この学園ではそれが『日常』だがな」


ツカサはおもむろに制服のポケットから、使い古されたタロットカードを一閃させた。

引き当てた一枚を、ハヤトの目の前に提示する。


「『運命の輪』だ。良かったな、宇田川」

「え……?」


ハヤトがおずおずと顔を上げ、カードを見つめる。


「事態が急激に、かつ好転する兆しだ。お前の停滞した運命が、ようやく動き出すサインさ」

「ほ、本当……?」

「ああ。俺が言うんだから間違いない。お前の『ツキ』はここからだ」


ツカサの瞳には、一切の迷いがなかった。

彼はカードを鮮やかな手つきでしまうと、「何かあれば部室に来い」と言い残し、風のように去っていった。


「……そろそろ落ち着いたか?」


リョウの問いかけに、ハヤトは顔を真っ赤にしてようやくその胸から離れた。


「あ、……ごめん、つい……」


(……俺だって、天城様にそんな馴れ馴れしい真似はしないというのに。コイツ、無自覚なのか……?)


一歩下がった場所で、ギンタがハヤトに対し静かな、しかし鋭い嫉妬の視線を送っていることには、誰も気づかなかった。


三人は窓際へ歩み寄り、校庭を見下ろした。

「……僕は、まだまだだね」

ハヤトがぽつりと零す。


「僕もしっかりしなきゃ。いつまでも助けてもらってばかりじゃいられない」

「そうだな。弱虫のままでは、この学園の重圧に押し潰されるぞ」


その時だった。


ピンポンパンポン――


校内に響き渡る臨時放送のチャイム。

その瞬間、先程まで騒がしかった教室が水を打ったように静まり返った。


『全校生徒の皆様へお知らせいたします。本日、学園主催「聖嶺鳳ゲーム」を開催いたします。参加希望者は、16:00に体育館へ集結してください。以上、SSP管理委員会より』


放送が終わるや否や、教室は再び爆発的な活気に包まれた。


「天城君、今の放送は……?」

「宇田川、今のは学園公式のゲーム開催告知だ」


質問に答えたのはギンタだった。


「僕も、参加できるのかな?」

「できる。というか、お前は参加しなければならない」

「えっ、でも任意だって……」

「バカか。お前のSSPは現在『0』だ。どん底から這い上がるには、公式ゲームでポイントを取るのが一番の近道だ」


ギンタの冷徹な説明に、ハヤトの背筋に冷たい汗が伝う。


「はは、強制ではないが、チャンスなのは確かだ」

リョウがフォローを入れるように笑った。


「ただし、公式ゲームは生徒同士の私闘とは格が違う。特殊なルールが設けられ、難易度は跳ね上がるぞ」

「む、難しいって……?」

「対人戦はシンプルだが、学園主催は時に非人道的で、時に極めて複雑な条件を突きつけてくる」


ハヤトの顔がみるみる青ざめていくのを見て、リョウが力強く肩を叩いた。


「案ずるな。非日常を楽しめばいい。チーム戦かもしれないし、個人戦かもしれない。それは行ってみてのお楽しみだ」

「天城君たちは、参加するの?」

「当然。退屈な日常には刺激が必要だからな」

「俺は、天城様についていくだけだ」


二人の迷いのない返答に、ハヤトは小さく、だが確かな決意を込めて頷いた。


「そっか……。うん、僕も、やるよ!」


こうして、三人は放課後の体育館で待ち受ける、未知なる「ゲーム」の深淵へと足を踏み入れることとなった。


聖嶺鳳学園 中庭


中庭のベンチに、ダイチは一人、投げ出すように座っていた。

空は憎らしいほどの快晴。

突き刺すような初夏の陽光が、惨めな敗北を喫したばかりのダイチの肌をジリジリと焼く。


「あ~あ……つまんないなぁ……」


湿り気を帯びた呟きが、乾いた空気に溶ける。

ここは滅多に人が寄り付かない、忘れられたような空白地帯だ。

胸ポケットから取り出したのは、白紙のカード。

彼はそれを太陽にかざし、透かすように見つめた。


「……僕のイカサマは、そこまで大層な代物じゃないんだけどなぁ。勝率だって安定しないし。……さて、次のゲームはどうしようか」


ギンタに敗した屈辱を反芻し、少しばかり自虐的な思考に沈む。

だが、その視界を遮るように、不意に鮮やかな色彩が降りてきた。


「元気にしてるかしら?」


鈴の音のような、涼やかな声。

驚いて視線を下げると、そこには水色の髪を緩やかに波打たせた女子生徒が立っていた。


「何だよ。僕に何か用?」


初対面の相手だろうが、ダイチは隠そうともせずに不躾な態度を見せる。

しかし、少女――雨氷(うひょう)セイカは、その無礼を柳に風と受け流し、小首を傾げた。


「こんなところで一人、空を仰いでいるなんて。……何か、深い悩みでもあるんじゃないかと思って」

「お前に関係ないだろ。何しに来たんだよ」

「別に。ただ通りがかっただけ。でも、君の横顔があまりに切なそうだったから、つい気になって」


そう言うと、セイカは断りもせずにダイチの隣に腰を下ろした。

柔らかな石鹸の香りが鼻をくすぐる。


「僕、女子には興味ないんだよねぇ……」


ダイチは彼女の方を見ようともせず、再び天を仰ぐ。

露骨な拒絶。

だが、セイカの瞳には逆に好奇心の火が灯った。


「それって……つまり、そういうこと?」

「……悪いかよ」


低く、毒を孕んだ声。

「嫌いじゃないわ。そういう『個性的な展開』、むしろ大歓迎よ」

「……お前、どういう思考回路してるんだ?」


ダイチはようやく、隣に座る侵入者の顔をまじまじと見た。

「趣味なんて人それぞれ。個性があってこそ、この学園は面白いじゃない」


セイカは口元に手を添え、フフッ、と上品に笑う。

その仕草一つをとっても、彼女がこの学園に相応しい、選ばれた側の人間であることを物語っていた。


「…………」

「私は雨氷セイカ。貴方の名前は?」

「ふん、教えてどうする。無駄だよ」

「じゃあ、何て呼べばいいかしら? ……そうね、『BL君』とでも呼びましょうか」


「やめろよ、そんな呼び方! 癇に障るだろ!」

「じゃあ、名前を教えてよ」


逃げ場をなくし、ダイチは大きく溜息をついた。

「……三影(みかげ)だ」


「三影君ね。で、こんなところで何を考えていたの? 詮索は良くないって言われそうだけど、気になっちゃうのよ」

「お前に気になられても、僕には何のメリットもないんだけどな……」


再び空を見上げるダイチ。

「じゃあ、誰になら気になられたいの?」


「……そうだな。ハヤト君、かな」


つい、無意識にその名前が口を衝いて出た。

「へぇ……。あなた、本当に面白いわね」


セイカが再びくすくすと笑う。

その笑みには、獲物を観察する学者のような冷徹さが混じっていた。

「好きなの?」

「ああ。一目見た時から、僕の心は彼に奪われてるよ」


「あら、あっさり答えるのね」

「所詮、お前に話したところで、どうにもなりゃしないだろ」

「……そうかしら? その秘密を『出汁』にして、君を脅すかもしれないわよ?」


不敵な笑みを浮かべるセイカに対し、ダイチは鼻で笑った。

「ふん。そんな手垢のついた脅し、僕が屈するとでも? そもそも、僕が女子(おまえ)に負けるわけないだろ」


根拠のない自信。

だが、それがダイチという男の歪んだ強さでもあった。

「本当に、喰えない人ね……」


セイカが一歩、距離を詰める。

ダイチのパーソナルスペースを侵食するように。

「何だよ、近寄るなよ。付き合ってるって誤解されるだろ」


「あら、あなたの言葉を借りるなら、誰に見られても『どうにもならない』んじゃないかしら?」

「……はぁ?」


「この学園の3000人の生徒は、他人の情事なんて興味ないわ。一人一人を観察するほど、みんな暇じゃないもの。……ねえ、三影君。あなた、本当に最高だわ」


セイカはダイチの正面に立ち、至近距離からその瞳を覗き込む。

ダイチがその威圧感に身を硬くした、その時だった。


「ピンポンパンポン――」


静寂を切り裂く校内放送。

学園主催「聖嶺鳳ゲーム」の告知だ。


「……折角いいタイミングだったのに。シラケちゃったわ」


セイカは心底不満そうに息を吐き、ダイチからスッと離れた。

「運が悪かったな」

「……ええ。でも、また会いましょう? きっと、すぐに」


翻る水色の髪。

セイカは颯爽と、獲物を見つけた満足感と共に校舎へと戻っていった。

「……変なのに絡まれちゃったな……」


一人残されたダイチは、再び空を見上げた。

だが、その頭脳は既に次の欲望へとシフトしている。


「待てよ。学園主催のゲームってことは……ハヤト君に会えるチャンスじゃないか! うへへ……」


瞬間、彼の脳内はハヤトのイメージで埋め尽くされた。

「ああ、この感覚……。彼を想うだけで、他のすべてがどうでもよくなっちゃうね……」


狂気を孕んだ笑顔で独りごちるダイチ。

予鈴のチャイムが響き渡る中、彼はいつまでも、ハヤトとの「再会」を妄想しては、暗い興奮に身を委ねていた。



五時間目の授業中。

ダイチは、周囲が熱心に板書を写す音をBGMに、一人ノートへとペンを走らせていた。


「ハヤト君よりも、僕の方が体力も頭脳も上でなくちゃ……彼を支配するためにはね」


低く、湿り気を帯びた独り言。

ダイチの脳裏には、昼休みに見たハヤトの怯える表情や、その華奢な肢体が鮮明に焼き付いていた。

思い出せば出すほど、胸の鼓動が早まり、顔に熱が集まっていく。


(ハヤト君のあの姿……。うへへ、思い出すだけで……最高だよ)


口元に不敵な笑みを浮かべ、異常な集中力で授業に臨むダイチ。

しかし、その顔は既に限界を越えていた。


「お、おい……三影。お前、気味悪い笑い方してると思ったら……鼻血出てるぞ!」


隣の席の生徒が引き気味に指摘する。

ダイチが視線を落とすと、真っ白なノートに鮮血がポタリと滴り、紅い染みを作っていた。


「……先生」


ダイチは至って冷静に挙手し、席を立つ。

クラス中の視線が彼に集まった。

「どうした、三影」

「保健室に行ってきます」

「ああ、行け」


教師の短い許可を得て、ダイチは教室を後にした。

背後で

「またアイツかよ」

「鼻血出して笑うとか最悪」

「あんなのがSSP上位ランカーだなんて信じられないぜ」

というヒソヒソ話が聞こえてくるが、今の彼にはそんな雑音すら心地よい。


聖嶺鳳学園:保健室

「失礼します……」


ダイチが保健室の重いドアを開けると、そこには予想外の先客がいた。


「あら、どうしたの? 随分と情熱的な顔をしているわね」


優しい、だがどこか突き放すような響きの声。

水色の髪を揺らし、イヤホンを外してこちらを見るのは、先ほど中庭で出会った雨氷セイカだった。


「お前……さっきの……!」

「奇遇ね、三影君。そんなにすぐに私に会いたくなったのかしら?」

「……なんでお前がここにいるんだよ」


ダイチは不快感を隠そうともせず、鼻を押さえながら問いかける。


「私は人混みが苦手なの。だから、ここを『私室』代わりにさせてもらっているわ」

「学校に来る意味がないだろ、そんなの」

「いいじゃない。学びの形は人それぞれよ。……あなたに言われたくないわ」


セイカはスマホの画面に視線を戻す。

そこにはリアルタイムで配信されているリモート授業の映像が映し出されていた。

出席日数を確保するための彼女なりの「処世術」なのだろう。


「……で、保健医はどうした?」

「生憎だけど、今日は不在よ。理由は知らないけれど。私は授業中だから、用が済んだらさっさと出ていってちょうだい」


冷たくあしらわれ、ダイチは不機嫌そうにティッシュを鼻に突っ込んだ。

その様子を、セイカが薄笑いを浮かべて盗み見る。


「鼻血?」

「見ればわかるだろ」

「どうせ、ハヤト君のことでも想像していたんでしょう?」


セイカはペンを置き、椅子を回転させてダイチに正面から向き直った。


「悪いかよ。……授業に集中するんじゃなかったのか?」

「貴方の方が気になるもの。不気味な生き物を観察するのは、知的な刺激になるわ」

「……不気味なのはお互い様だ」


沈黙が流れる。

聞こえるのは、スマホから漏れる教師の単調な講義の声だけだ。

その静寂を破ったのは、やはりセイカだった。


「お昼の放送……学園主催のゲーム。あなたは参加するのかしら?」

「……ああ、出るよ」


ダイチがぶっきらぼうに頷くと、セイカは「そう」とだけ短く返した。

「お前はどうなんだよ」


「あら、私に興味が湧いた?」

「うるさい。いいから答えろ」

「私は参加しないわ。既に十分なSSPを『貯金』してあるもの」


「ランク、いくつだ?」

「上から31番目、と言ったところかしら」


「……意外と上位なんだな」

ダイチの言葉に、セイカは余裕たっぷりの微笑を返した。


「知ってる? 100位と101位の差。噂では1万ポイント以上の開きがあるそうよ。この学園で、真にSSPを稼ぎ、支配階級に君臨している人間は、思っている以上に少ないの」


セイカの瞳に、鋭い光が宿る。

「皆、もっと特権が欲しいとは思わないのかしらね。……ところで、鼻血は止まった?」


ダイチが鼻からティッシュを引き抜くと、出血は収まっていた。

「止まったなら、早く教室へ戻りなさい。ここは私の『聖域』なんだから」


「勝手なことを言うな。保健室は公共の場所だろ」

「いいえ。これも『特権』の一つなのよ」


セイカがスマホを操作し、ダイチに画面を見せる。そこにはSSP管理委員会が認可した特権項目が並んでいた。

【特権:保健室の独占使用権(認可期間中)】


「……変な特権だな」

「これを行使中なの。出ていかないなら、『不法侵入』として逮捕の手配をしてもいいけれど?」


「はん。残念だったな」

ダイチは不敵に笑い、自分のスマホを彼女に突きつけた。


「僕はランク20位以内だ。お前のランク31位程度の特権なら、僕が上書きして塗り替えることだってできるんだよ」

「……あら。三影君、私より上だったのね」


セイカは呆れたように肩をすくめ、再びノートに向き直った。

「分かったわよ。好きにしていればいいわ」


「分かればいいんだよ。さて……」

ダイチはベッドに横たわりながら、セイカが見せた特権リストを思い返していた。


「そんな便利な特権があるなら、使い道はいくらでもある。僕とハヤト君、二人きりの『聖域』を作ることも……ね。うへへ……」


「……ろくなことに使わないわね、貴方。まあ、好きにしなさい」


セイカは再びイヤホンを耳に押し込んだ。

静まり返った保健室。

片やリモート授業に励む水色の髪の少女、片や愛しい獲物との「蜜月」を空想する鼻血跡の少年。


学園の放課後を彩る不穏なゲームの足音が、刻一刻と近づいていた。


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