[4章] 聖嶺鳳学園の日常 日常Part1前編
- ラメンスキー

- 3月4日
- 読了時間: 7分

聖嶺鳳学園 男子トイレ
「うへへ……このターンで、このワンちゃんも僕のもの……!」
ダイチは心の内で、卑屈で粘着質な笑みを浮かべていた。
目の前に立つのは、ギンタだ。
場違いな勝負の結果、両者の身に纏うものはすでにズボンのみ。
露出した肌に、冷えた空気が触れる。
だが、ダイチの胸中にあるのは、勝利への確信と歪んだ期待感だけだった。
(ハヤト君の身体を拝んだ時ほどの衝撃はないけど、見られるなら見ておくに越したことはないよねぇ……)
ダイチは瞳を怪しく光らせながらも、表面上は努めて冷静に、獲物を追い詰めるような声で問いかけた。
「用意はいいかい?」
「……ああ」
ギンタは短く、吐き捨てるように応じる。
その瞳には、ダイチに対する侮蔑の色が濃く滲んでいた。
「じゃん、けん……」
「――ポン!」
乾いた音が室内に響く。ダイチは勝利を確信し、悦びに浸るため、一瞬だけ瞼を閉じた。
(勝った! 僕の勝ちだ! ワンちゃんの身体、丸ごとゲット!)
脳裏に広がる、敗者を弄ぶ光景。
しかし、静寂を破ったのはギンタの冷徹な呟きだった。
「ふん……俺の勝ちだな」
「そうそう、僕の……えっ?」
ダイチが慌てて目を見開くと、そこには残酷な現実があった。
ダイチの出した「パー」を、ギンタの「チョキ」が無慈悲に断ち切っている。
「なっ、どういうことだい!? そんなはずは……!」
「お前の稚拙なイカサマなど、とっくにお見通しだ。悟られないよう、あえて引き分けを出し続けていただけだ」
ギンタの言葉は、氷の楔(くさび)のようにダイチの心臓を刺し貫いた。
「……ぼ、僕のイカサマが、バレて……?」
糸が切れた人形のように、ダイチはその場に膝をつく。
地面の冷たさが、惨めな敗北を強調していた。
「勝負あったな。ゲス野郎」
ギンタは足元に落ちていた手札をダイチへ投げつけると、慣れた手つきでYシャツのボタンを留め、ベストを羽織った。一刻も早く、この不衛生な空気から脱出しようとするかのように。
だが、プライドを粉砕されたダイチの精神は、最悪の方向へと暴走を始めた。
「僕の負けだよ! そうだ、僕の負けだ! ならば、勝者には……!」
カチャカチャと金属音を立て、ダイチは自らのベルトを乱暴に外した。
「勝者である君には、僕の身体を見ていく『義務』がある! 存分に、僕を堪能してくれ!」
なりふり構わず、下着姿でギンタにすがりつくダイチ。
その姿は滑稽であり、同時に異様な執着に満ちていた。
「……お前の裸など、欠片も興味はない」
ギンタの突き放すような一言。
だが、狂乱状態のダイチには届かない。
「そんなこと言わずに見てよ! 滅多にない機会だろう!?」
必死に詰め寄るダイチに対し、ついにギンタの嫌悪感が限界を超えた。
「失せろ! 貴様のような異常な人間、俺は大っ嫌いだ!」
怒声と共に突き飛ばされたダイチが床に転がるのと、ギンタがトイレを飛び出していくのは同時だった。
バタン、と重いドアの音が響き、再び静寂が戻ってくる。
「…………」
独り、冷たい床に取り残されたダイチ。
急激に熱が引き、空虚な孤独が足元から這い上がってくる。
「……何やってるんだろう、僕って……」
弱々しい声が、壁に反射して虚しく響く。
ダイチは力なく、脱ぎ捨てられた自分のYシャツを拾い上げた。
「そうだよ……僕は、異常だ。この学園に友達なんて一人もいない。こうやって、歪んだゲームの中でしか、本当の自分を晒すことができないんだ……」
震える手でネクタイを締め、ズボンを履き直す。
先程までの狂気じみた勢いは消え失せ、そこにいるのはただの、ひどく孤独な少年だった。
「……僕は誰にも相手にされない。本当は、ただ……優しくしてもらいたいだけなのに……」
湿り気を帯びた呟きは、誰に届くこともなく、夕暮れ時の男子トイレに溶けて消えた。
お昼休みの喧騒が響く廊下。
ハヤトは手洗いを済ませ、濡れた手をハンカチで拭いながら、一人自分の教室へと歩を進めていた。
その時、隣のクラス――二組の教室から、鼓膜を逆撫でするような嘲笑が漏れ聞こえてきた。
「ひゃははは! 何これ、チョーウケるんだけど!」
「ぎゃははは! その動き、マジでキモすぎだって!」
「ほらほら、早く消さないと先生来ちゃうよ~? 早く、もっと必死にさぁ!」
心臓が嫌な跳ね方をする。
ハヤトが恐る恐る教室の入り口から中を覗き込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
教室の中央、女子グループの取り巻きが一つの机を包囲し、一人の女子生徒をなぶりものにしている。
ハヤトの視線がその先の黒板へと向いた瞬間、彼は息を呑んだ。
そこには、その女子生徒を標的にした悍ましい誹謗中傷、人格を否定するような罵詈雑言が、黒板いっぱいに書き殴られていたのだ。
女子生徒は涙で視界を滲ませながら、震える手で必死にその文字を消し続けている。
(なっ……これって、いじめ……っ!?)
あまりの衝撃に足がすくみ、動けなくなる。
だが、その硬直が命取りとなった。
「あ? てめぇ、何見てんだよ」
鋭い声がハヤトを射抜く。
女子グループの一人が、獲物を見つけた肉食獣のような目でハヤトを睨みつけた。
「あ、ご、ごめんなさい……!」
反射的に謝罪し、その場を立ち去ろうと背を向ける。
しかし、背後には既にクラスの男子生徒が壁のように立ちはだかっていた。
――どすん!
「いってぇな、このタコ!」
「す、すみません! 悪気はなくて……!」
必死に頭を下げるハヤトだったが、女子グループのリーダー格が冷酷な笑みを浮かべて言い放つ。
「ちょっと、そいつ連れてきて」
「ちょ、ちょっと……やめてください!」
抗議の声も虚しく、ハヤトはブレザーの襟を掴まれ、ずるずると教室の奥へと引きずり込まれた。
多勢に無勢。
ゾンビのように群がってくる生徒たちにもみくちゃにされ、ハヤトは冷たい床に膝をついた。
絶望が支配しようとした、その時だった。
「――すまんが、ハヤトは俺のだ」
低く、だが教室中の騒音を瞬時に掻き消すほど通る声が響き渡った。
入口に立っていたのは、鋭い眼光を放つリョウ。そして、その傍らで影のように控えるギンタの姿があった。
「あ……天城君……!」
ハヤトの声が、救いを求めるように震える。
「んだよ、てめーは! 引っこんでろよ!」
逆上した女子の一人が、リョウの脛を蹴り上げようと鋭く足を繰り出す。
だが、その足がリョウに届くことはなかった。
ギンタが電光石火の動きで割り込み、その足首を的確に掴み取る。
そのまま力を逃がすように流すと、女子生徒はバランスを崩し、無様に床へ転がった。
「暴力行為はお控えください。」
ギンタは表情一つ変えず、淡々と、しかし拒絶を許さないトーンで呟いた。
「ちょ、ちょっと、やめなよ! そいつは……あの天城だよ!?」
「いっ、いたたた……!」
尻餅をついた女子に駆け寄る仲間たちの顔には、明らかな「恐怖」が張り付いていた。
聖嶺鳳学園において、SSP上位者に逆らうことが何を意味するか。
彼らは本能で理解していたのだ。
静まり返る教室。
リョウは周囲の視線を一顧だにせず、真っ直ぐにハヤトの元へ歩み寄った。
「大丈夫か?」
差し出された大きな手。
ハヤトはその温もりに縋るように、ぎゅっと手を握り返した。
「あ、ありがとう……助かったよ」
「行くぞ」
リョウはハヤトの手を引いたまま、悠然と出口へと向かう。
嵐が去った後のような静寂の中、二組の生徒たちはただ呆然とその背中を見送るしかなかった。
三人が去った後、教室の空気は急速に冷え切っていく。
「……なんか、シラケちゃったわね」
誰かが呟いた。
ふと黒板の方へ目を向けると、そこにはもう、先程まであった呪詛のような文字は残っていなかった。
あの混乱に乗じて、ターゲットの女子生徒がすべて消し去っていたのだ。
「チッ! つまんねーな!」
目論見を外されたリーダー格の女子が、苛立ちをぶつけるように机を蹴り飛ばす。
激しい金属音が響き、周囲の生徒たちはビクッと肩を震わせ、静かに目を伏せた。
聖嶺鳳学園の日常
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