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[4章] 聖嶺鳳学園の日常 日常Part1前編

ダブルダイスプレディクト

聖嶺鳳学園 男子トイレ


「うへへ……このターンで、このワンちゃんも僕のもの……!」


ダイチは心の内で、卑屈で粘着質な笑みを浮かべていた。

目の前に立つのは、ギンタだ。


場違いな勝負の結果、両者の身に纏うものはすでにズボンのみ。

露出した肌に、冷えた空気が触れる。

だが、ダイチの胸中にあるのは、勝利への確信と歪んだ期待感だけだった。


(ハヤト君の身体を拝んだ時ほどの衝撃はないけど、見られるなら見ておくに越したことはないよねぇ……)


ダイチは瞳を怪しく光らせながらも、表面上は努めて冷静に、獲物を追い詰めるような声で問いかけた。


「用意はいいかい?」

「……ああ」


ギンタは短く、吐き捨てるように応じる。

その瞳には、ダイチに対する侮蔑の色が濃く滲んでいた。


「じゃん、けん……」


「――ポン!」


乾いた音が室内に響く。ダイチは勝利を確信し、悦びに浸るため、一瞬だけ瞼を閉じた。

(勝った! 僕の勝ちだ! ワンちゃんの身体、丸ごとゲット!)


脳裏に広がる、敗者を弄ぶ光景。

しかし、静寂を破ったのはギンタの冷徹な呟きだった。


「ふん……俺の勝ちだな」

「そうそう、僕の……えっ?」


ダイチが慌てて目を見開くと、そこには残酷な現実があった。

ダイチの出した「パー」を、ギンタの「チョキ」が無慈悲に断ち切っている。


「なっ、どういうことだい!? そんなはずは……!」

「お前の稚拙なイカサマなど、とっくにお見通しだ。悟られないよう、あえて引き分けを出し続けていただけだ」


ギンタの言葉は、氷の楔(くさび)のようにダイチの心臓を刺し貫いた。


「……ぼ、僕のイカサマが、バレて……?」


糸が切れた人形のように、ダイチはその場に膝をつく。

地面の冷たさが、惨めな敗北を強調していた。


「勝負あったな。ゲス野郎」


ギンタは足元に落ちていた手札をダイチへ投げつけると、慣れた手つきでYシャツのボタンを留め、ベストを羽織った。一刻も早く、この不衛生な空気から脱出しようとするかのように。


だが、プライドを粉砕されたダイチの精神は、最悪の方向へと暴走を始めた。


「僕の負けだよ! そうだ、僕の負けだ! ならば、勝者には……!」


カチャカチャと金属音を立て、ダイチは自らのベルトを乱暴に外した。


「勝者である君には、僕の身体を見ていく『義務』がある! 存分に、僕を堪能してくれ!」


なりふり構わず、下着姿でギンタにすがりつくダイチ。

その姿は滑稽であり、同時に異様な執着に満ちていた。


「……お前の裸など、欠片も興味はない」


ギンタの突き放すような一言。

だが、狂乱状態のダイチには届かない。


「そんなこと言わずに見てよ! 滅多にない機会だろう!?」


必死に詰め寄るダイチに対し、ついにギンタの嫌悪感が限界を超えた。


「失せろ! 貴様のような異常な人間、俺は大っ嫌いだ!」


怒声と共に突き飛ばされたダイチが床に転がるのと、ギンタがトイレを飛び出していくのは同時だった。

バタン、と重いドアの音が響き、再び静寂が戻ってくる。


「…………」


独り、冷たい床に取り残されたダイチ。

急激に熱が引き、空虚な孤独が足元から這い上がってくる。


「……何やってるんだろう、僕って……」


弱々しい声が、壁に反射して虚しく響く。

ダイチは力なく、脱ぎ捨てられた自分のYシャツを拾い上げた。


「そうだよ……僕は、異常だ。この学園に友達なんて一人もいない。こうやって、歪んだゲームの中でしか、本当の自分を晒すことができないんだ……」


震える手でネクタイを締め、ズボンを履き直す。

先程までの狂気じみた勢いは消え失せ、そこにいるのはただの、ひどく孤独な少年だった。


「……僕は誰にも相手にされない。本当は、ただ……優しくしてもらいたいだけなのに……」


湿り気を帯びた呟きは、誰に届くこともなく、夕暮れ時の男子トイレに溶けて消えた。



お昼休みの喧騒が響く廊下。

ハヤトは手洗いを済ませ、濡れた手をハンカチで拭いながら、一人自分の教室へと歩を進めていた。


その時、隣のクラス――二組の教室から、鼓膜を逆撫でするような嘲笑が漏れ聞こえてきた。


「ひゃははは! 何これ、チョーウケるんだけど!」

「ぎゃははは! その動き、マジでキモすぎだって!」

「ほらほら、早く消さないと先生来ちゃうよ~? 早く、もっと必死にさぁ!」


心臓が嫌な跳ね方をする。

ハヤトが恐る恐る教室の入り口から中を覗き込むと、そこには異様な光景が広がっていた。


教室の中央、女子グループの取り巻きが一つの机を包囲し、一人の女子生徒をなぶりものにしている。

ハヤトの視線がその先の黒板へと向いた瞬間、彼は息を呑んだ。


そこには、その女子生徒を標的にした悍ましい誹謗中傷、人格を否定するような罵詈雑言が、黒板いっぱいに書き殴られていたのだ。

女子生徒は涙で視界を滲ませながら、震える手で必死にその文字を消し続けている。


(なっ……これって、いじめ……っ!?)


あまりの衝撃に足がすくみ、動けなくなる。

だが、その硬直が命取りとなった。


「あ? てめぇ、何見てんだよ」


鋭い声がハヤトを射抜く。

女子グループの一人が、獲物を見つけた肉食獣のような目でハヤトを睨みつけた。


「あ、ご、ごめんなさい……!」


反射的に謝罪し、その場を立ち去ろうと背を向ける。

しかし、背後には既にクラスの男子生徒が壁のように立ちはだかっていた。


――どすん!


「いってぇな、このタコ!」

「す、すみません! 悪気はなくて……!」


必死に頭を下げるハヤトだったが、女子グループのリーダー格が冷酷な笑みを浮かべて言い放つ。


「ちょっと、そいつ連れてきて」


「ちょ、ちょっと……やめてください!」


抗議の声も虚しく、ハヤトはブレザーの襟を掴まれ、ずるずると教室の奥へと引きずり込まれた。

多勢に無勢。

ゾンビのように群がってくる生徒たちにもみくちゃにされ、ハヤトは冷たい床に膝をついた。


絶望が支配しようとした、その時だった。


「――すまんが、ハヤトは俺のだ」


低く、だが教室中の騒音を瞬時に掻き消すほど通る声が響き渡った。


入口に立っていたのは、鋭い眼光を放つリョウ。そして、その傍らで影のように控えるギンタの姿があった。


「あ……天城君……!」


ハヤトの声が、救いを求めるように震える。


「んだよ、てめーは! 引っこんでろよ!」


逆上した女子の一人が、リョウの脛を蹴り上げようと鋭く足を繰り出す。

だが、その足がリョウに届くことはなかった。


ギンタが電光石火の動きで割り込み、その足首を的確に掴み取る。

そのまま力を逃がすように流すと、女子生徒はバランスを崩し、無様に床へ転がった。


「暴力行為はお控えください。」


ギンタは表情一つ変えず、淡々と、しかし拒絶を許さないトーンで呟いた。


「ちょ、ちょっと、やめなよ! そいつは……あの天城だよ!?」

「いっ、いたたた……!」


尻餅をついた女子に駆け寄る仲間たちの顔には、明らかな「恐怖」が張り付いていた。

聖嶺鳳学園において、SSP上位者に逆らうことが何を意味するか。

彼らは本能で理解していたのだ。


静まり返る教室。

リョウは周囲の視線を一顧だにせず、真っ直ぐにハヤトの元へ歩み寄った。


「大丈夫か?」


差し出された大きな手。

ハヤトはその温もりに縋るように、ぎゅっと手を握り返した。


「あ、ありがとう……助かったよ」

「行くぞ」


リョウはハヤトの手を引いたまま、悠然と出口へと向かう。

嵐が去った後のような静寂の中、二組の生徒たちはただ呆然とその背中を見送るしかなかった。


三人が去った後、教室の空気は急速に冷え切っていく。


「……なんか、シラケちゃったわね」


誰かが呟いた。

ふと黒板の方へ目を向けると、そこにはもう、先程まであった呪詛のような文字は残っていなかった。

あの混乱に乗じて、ターゲットの女子生徒がすべて消し去っていたのだ。


「チッ! つまんねーな!」


目論見を外されたリーダー格の女子が、苛立ちをぶつけるように机を蹴り飛ばす。

激しい金属音が響き、周囲の生徒たちはビクッと肩を震わせ、静かに目を伏せた。

聖嶺鳳学園の日常

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