[2章] 聖嶺鳳学園の日常 フォールド・ストライク後編
- ラメンスキー

- 3月4日
- 読了時間: 12分

聖嶺鳳学園の日常
震える指先を箱の暗がりに突っ込み、運命を弄ぶように一枚のカードを引き抜く。
その間、ダイチは恭しく目を閉じていた。
まるで神託を待つ信者のようなその静寂が、かえってハヤトの皮膚を粟立たせる。
引き当てたのは、『グー』。
「……もう、いいよ」
掠れた声で促すと、ダイチはゆっくりと瞼を持ち上げた。
その瞳には、獲物を網にかけた蜘蛛のような、粘着質な悦びに満ちた光が宿っている。
「目を開けた瞬間、君が視界にいてくれる……。なんて素晴らしいことなんだろうね、ハヤト君」
「い、いいから……早く引いてよ」
恍惚とした表情で間を詰めてくるダイチに、ハヤトは身を引くことしかできない。
ダイチは「はいはい」と余裕の笑みを浮かべ、淀みない動作で箱からカードを選び出した。
「さて、フォールド宣言はあるかい?」
「いや……まずは、一回お試しで」
ハヤトはあえて勝負を選んだ。
敵の出方を見極めるまでは、リソースを削るわけにはいかない。
「じゃあ勝負だ。じゃんけん――」
――ポン!
二人は一斉にカードを裏返した。
「アイコか。つまらないなあ」
ダイチがわざとらしく眉をひそめる。
開示された手札は、互いに『グー』。
「あの、アイコの場合は……?」
「アイコはお互い一枚ずつ脱ぐ。」
ダイチの平然とした回答に、ハヤトの喉がひきつった。
「え? やり直しじゃなくて……?」
「この『フォールド・ストライク』において、アイコは両者敗北扱いなんだよ」
ダイチは流れるような動作でカードを回収し、自身の上着を脱ぎ捨てた。
ハヤトもまた、重い手つきでブレザーを脱ぐ。
「制服が汚れちゃいけないからね。このカゴを使いなよ」
差し出された折り畳み式のカゴ。
そんな細やかな配慮が、今のハヤトにはかえって不気味に映った。
(変な人だけど……もしかして、根は優しいのかな?)
そんな淡い期待は、次の瞬間に打ち砕かれることになる。
二戦目。ハヤトは箱の中に手を入れ、指先の感触で何か違和感がないか探った。
しかし、ただの厚紙の感触しかない。
怪しまれないよう、素早く一枚を引き抜く。
続いてダイチが手を入れ、「どれにしようかな」と歌うようにカードを選ぶ。
その指先が箱の底で微かに踊った瞬間こそが、彼が仕組んだ必勝のアルゴリズムだったのだが
――今のハヤトには知る由もなかった。
「宣言は?」
「しないよ」
「じゃあ、勝負だ」
――ポン! ダイチの『グー』に対し、ハヤトの手札は『チョキ』。
「僕の勝ちだね。さあハヤト君、次は……ベストだ」
負けた。
ハヤトは奥歯を噛み締め、渋々ベストを脱いでカゴに重ねた。
三戦目。
ハヤトは確信を得るために、ダイチの挙動を凝視した。
「ハヤト君、僕のことが好きなの? そんなに見つめられたら、僕……」
「ち、違うよ! 変なこと言わないで!」
顔を赤らめるハヤトを余所に、ダイチはまたしても『グー』を出した。
ハヤトもまた、守りに入って『グー』を選択。
結果はアイコ。
ダイチが淀みなくシャツとネクタイを脱ぎ捨てる。
白い肌があらわになり、ハヤトもまた、震える手でシャツを脱いだ。
しかし、その下には肌着が残っている。
「なんだ、肌着を身に着けていたのか」
ダイチの声から体温が消えた。
「君のふくよかなお腹が拝めると思ったのに。これじゃ不公平じゃないか?」
冷や汗がハヤトの背中を伝う。
剥き出しの敵意よりも、その執着が恐ろしい。
「……で、でも、肌着はルール外だよね?」
「……まあいいさ。次へ行こう」
ダイチが箱を差し出す。ハヤトの脳内はフル回転していた。
(一回目、三回目はアイコ。二回目もダイチ君はグーを出した。……間違いない。この箱の中は、圧倒的に『グー』の比率が高いんだ!)
「ハヤト君、引かないの?」
「ああ、ごめん。……でもさ、ダイチ君。この箱、グーの配分が多いよね?」
ハヤトの指摘に、ダイチはあっさりと、そして残酷なほど無邪気に頷いた。
「そうだよ。よく気づいたね」
「……教えてくれて、ありがとう」
ハヤトは意を決して、再び箱に手を突っ込んだ。
(グーが多ければ、最悪でもドローに持ち込める。チョキさえ引かなければ……パーなら、僕の勝ちだ!)
勝利への道筋が見えたと信じ、ハヤトは運命の一枚を選び取った。
聖嶺鳳学園 男子トイレ
ハヤトが引き抜いたカードは『グー』。
(グーか……。フォールド宣言も手だけど、ここで流しても状況は変わらない。アイコなら、まだ耐えられる)
揺れる瞳、硬直した肩。
ハヤトの思考は、ダイチにとって透き通ったガラス細工のように明白だった。
ダイチは唇の端を吊り上げ、愉悦を噛み殺す。
「じゃあ、僕の番だ……」
ダイチは箱に手を入れ、指先の感覚だけで目的のものを探り当てる。
「これにしようかな」
淀みなく引き抜かれたカード。
ダイチは、勝負の終わりを告げる死神のような微笑を浮かべた。
「宣言はあるかい? ……もっとも、君はしないだろうけどね」
「えっ? どうして……」
「ハヤト君は、このゲームを引き分けで終わらせようとしている。ここでフォールドしても、次で負ければ即座に下着姿……ダブルペナルティで詰みだ。だから、賭けるしかないんだ。」
図星だった。
ハヤトの喉が小さく鳴る。
「……そうだよ。だから、僕は宣言しない」
「いい返事だ。じゃあ、勝負しようか」
――その瞬間、世界から音が消え、ダイチの脳内だけで「正解」が組み上がる。
(この勝負、僕の勝ちだ。
……ハヤト君、君の読み通りこの箱は『グー』が支配している。
僕が描いたグーのカードには、君には決して気づけない、針の先ほどの小さな傷をつけてある。
これまでのアイコは、僕がその傷を指先でなぞり、確実にグーを引き当てていた結果に過ぎない)
(だけど、このターン……僕が選んだのは、傷のないカード。
君が自ら描いた『パー』だ。君がチョキを出さないと確信した今、アイコという慈悲はもう必要ない。欲しいのは、確実な勝利だけだ)
(見せてもらうよ、ハヤト君。君が誰にも見せない、秘められた部分をね)
――ポン!!
「え……?」
ハヤトの思考が真っ白に染まった。
視界に飛び込んできたのは、無情なコントラスト。
自分の出した『グー』を、ダイチの『パー』が冷酷に覆い隠している。
「僕の勝ちだね、ハヤト君。……さあ、ズボンを脱ごうか」
ダイチの顔から余裕が消え、代わりに剥き出しの恍惚が溢れ出した。
「……っ! 勝てる、はずだったのに……!」
「君は勝てるはずの盤面を、僕に『与えられていた』だけなんだよ」
ダイチは脱いだ服を着た後、ゆっくりと距離を詰め、ハヤトの腰元へ手を伸ばした。
獲物を前にした捕食者の、音のない足取り。
「……し、仕方ない。負けたんだから……」
観念して瞳を閉じるハヤト。
その震える指先に、ダイチの手が重なる。
カチリ、とベルトのバックルが外れる金属音が、静かなトイレに異様に大きく響いた。
「いい子だね、ハヤト君は」
ダイチは囁きながら、ゆっくりと、しかし確実にチャックを降ろし、布地を足元へと滑り落とした。
一気に太ももを撫でる冷たい空気。
そして、自分を射抜く熱を帯びた視線。
恥辱という名の濁流が、ハヤトの理性を飲み込んでいく。
「はぁ……。素敵だ、ハヤト君。本当に」
下着姿で立ち尽くすハヤトを、ダイチはまるで高価な芸術品を値踏みするように眺め回した。
「……もう、いいかな……?」
「まだダメだ。もっと、隅々まで堪能させておくれ」
蛇に睨まれた蛙のように、ハヤトは動くことすら許されない。
数十分。
ダイチの執拗な視線に晒され続けたその時間は、ハヤトにとって、永遠にも等しい地獄の停滞だった。
30分後――。
ようやく満足したのか、ダイチは憑き物が落ちたような声音で言った。
「ありがとう。もう、服を着ていいよ」
解放されたハヤトは、逃げるようにズボンを引き上げ、乱れたYシャツに腕を通した。
指先が震えて、ボタンがうまく嵌まらない。
「えへへ。ありがとうね、ハヤト君。……しばらくは、これで満足できそうだ」
着替えを急ぐハヤトの背中に、ダイチの愉悦に満ちた声が降り注ぐ。
「さて。SSPはきっちり頂くよ。スマホを出して」
ダイチが手慣れた動作で端末を取り出す。
ハヤトも着替えを終えると、重い鉛を動かすような手つきで自分のスマホを取り出した。
「100ポイント……本当に、全部奪うの……?」
「それが勝負の世界だよ。それとも何か、僕の専属の『ペット』にでもなってくれるのかい?」
「い、いや……! あんなこと、ずっとされ続けるのは……」
「……だろ? じゃあ、素直に差し出しなよ」
無慈悲な催促。
ハヤトが画面を操作すると、電子的な音が鳴り響き、保有SSPは無慈悲な『0』を表示した。
ポイントが移動したのを確認し、ダイチは満足げにスマホをポケットに収める。
「またゲームをしようね、ハヤト君。今度は君の……『そこ』以外も」
ダイチが口にした卑俗な期待に、ハヤトの顔が羞恥で一気に沸騰した。
「……っ!」
「……好きだよ、ハヤト君」
ダイチは至近距離まで詰め寄ると、熱を帯びた吐息とともにハヤトの耳元で囁いた。
そのまま、楽しげに道具をまとめると、一度も振り返ることなくトイレを後にした。
静寂が戻ったトイレに、一人取り残されたハヤト。
「……負けた。天城君に、なんて言えばいいんだろう……」
リョウから慈悲で分けてもらった大切なポイントを、守るどころかあっさりと奪われてしまった。
0になった数字を見つめるたび、情けなさと申し訳なさで胸が潰れそうになる。
天城君は、こんな僕をどう思うだろうか。
トボトボと力なくトイレを出ると、廊下にはどろりと濃厚な夕闇が広がっていた。
西日から漏れる残光が、逃げ場のない影を長く、不気味に伸ばしていた。
聖嶺鳳学園 2-1
教室に戻ると、そこには今一番会いたくない二人の生徒が、薄闇の中で談笑していた。
天城リョウと、その側近であるギンタだ。
リョウがハヤトの気配に気づき、伏せていた視線を上げた。
「ハヤト。こんな時間まで学校にいたのか」
長く、優雅な指先が手招きをする。
逆らえない引力に引かれるように、ハヤトは歩み寄った。
「う、うん……」
「何かあったのか?」
しょんぼりと肩を落とすハヤトの異変を、リョウは見逃さない。
その静かな問いかけに、ハヤトは耐えきれなくなり、深く、深く頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……!」
「急にどうしたんだ、ハヤト」
リョウは近くの席に腰を下ろし、面白そうに目を細めた。
ハヤトは消え入りそうな声で、先ほどまでトイレで起きていた出来事を
――御影ダイチとの勝負と、100ポイントすべての喪失を
――正直に告白した。
話し終えるまで、リョウの視線はずっとハヤトを捉えて離さなかった。
それが逆に、ハヤトの罪悪感を鋭く突き刺す。
「何をやっているんだ貴様は! 天城様から拝領したSSPを、たった一日で奪われるとは!」
静寂を破ったのはギンタの怒号だった。
激昂し、ハヤトを射殺さんばかりに睨みつける。
しかし、主であるリョウの反応は、予想に反して極めて穏やかなものだった。
「ギンタ、落ち着け」
「は、はい……。失礼しました」
リョウは一呼吸置くと、慈しむようなトーンで言った。
「顔を上げてくれ、ハヤト。……構わないさ。君はこの学園の『洗礼』を受けただけだ」
「え……?」
「それで……楽しかったか? そのゲームは」
予想外の質問に、ハヤトは一瞬言葉を詰まらせた。脳裏をよぎるのは、ダイチの恍惚とした瞳と、下着姿で晒された屈辱の30分。
「楽しいっていうか……負けちゃって、その。……恥ずかしい姿にさせられたよ」
頬を赤く染めて俯くハヤトを見て、リョウは微かに口角を上げた。
「そうか。……俺も見てみたかったな。その勝負」
「天城様! そのような下劣な余興、ご覧になる必要はありません!」
「あ、天城君に、あんな姿見せられないよ……」
慌てるハヤトと憤慨するギンタを、リョウはどこか他人事のように眺めている。
「SSPについては、また稼げばいい。……後日、とある場所へ行こうか」
「とある場所……?」
「ああ。俺の幼馴染がいるところだ。そこで勝てれば儲けものだ」
リョウの「幼馴染」という言葉の重みに、ハヤトは再び嫌な汗をかいた。
学園トップに君臨する生徒の旧知。
それが、常人であるはずがない。
「ま、そう気を張らなくてもいい。ハヤトの『訓練』みたいなものだ」
リョウの言葉は一見優しいが、ハヤトの胸のざわつきは消えなかった。
「あの……昨日から、ずっと思っていたんだけど……。なんで、学園一位の天城君が、そんなに僕のことを気にかけてくれるの……?」
純粋で、かつ本質的な疑問。
リョウは一瞬だけ表情を消し、それから煙に巻くような薄い笑みを浮かべた。
「……気になるから。それだけだよ」
その回答に、ハヤトは確信した。
彼は何かを隠している。
あるいは、自分ですら気づいていない「利用価値」が、リョウの目には見えているのではないか、と。
「そ、そうなんだ……。ありがとう」
「さて、帰ろうか」
リョウは席を立ち、流麗な動作で帰宅の準備を整えた。
ギンタがすぐさま昨日同様、リムジンの手配を済ませる。
「正門前へ向かいましょう」
ギンタの先導で、リョウが教室を出る。
ハヤトもまた、その長くて暗い二人の影を追いかけるように、重いカバンを抱えて廊下へと踏み出した。
聖嶺鳳学園 正門前
聖嶺鳳学園、正門前。
そこには重厚なリムジンが、獲物を待つ黒豹のように静かに鎮座していた。
リョウが近づくと、吸い込まれるように自動ドアが開閉する。
車内に腰を下ろしたリョウは、窓越しに短く言葉を投げた。
「また明日な。二人とも」
それだけを残し、リムジンは滑らかな加速で夕闇へと消えていく。
残されたのは、街灯の下に佇むギンタとハヤトの二人だけだった。
「あの、桜庭君」
張り詰めた沈黙に耐えかね、ハヤトが声をかける。
今、このタイミングでなければ聞けない気がしたのだ。
「君はどうして、いつも天城君と行動を共にしているの……?」
「……」
ギンタは無言のまま、氷のような視線を横目でハヤトに突き刺した。
「お前に話す必要があるのか? SSPが0ポイントの貴様に」
「そ、そうだよね……ごめん」
ハヤトは力なく項垂れた。
この学園において、ポイントの多寡は生存権そのものだ。
冷徹な態度は当然であり、むしろリョウの寛容さが異常なのだと思い知らされる。
だが――そのハヤトのあまりに痛々しい表情を見たギンタは、忌々しそうに深くため息をつき、静かに口を開いた。
「……天城様がお前を気に入っている。だから、特別に教えてやる」
「ほ、本当……?」
「天城様に拾われた。それだけだ。この首輪とリードが、その証明だ」
ギンタは自嘲気味に、しかし誇らしげに制服の襟元を正した。
「拾われた……?」
「そうだ。一年前、学園の最底辺で喘いでいた俺に、天城様だけが手を差し伸べてくれた。それ以来、俺の命も権利も、すべて天城様に捧げている」
「そうだったんだ……。ちなみに、桜庭君の今のSSPはどれくらいあるの……?」
純粋な好奇心。
それに対するギンタの回答は、予想もしないものだった。
「……0だ」
「えっ? ゼロ……!?」
絶句するハヤト。
学園の権力者の側近でありながら、自分と同じ「持たざる者」であるという矛盾。
「これ以上話す気はない。俺も帰る」
ギンタは突き放すように背中を向けた。
その足取りは迷いなく、闇の中へと消えていく。
一人残されたハヤトは、足元の影を見つめたまま立ち尽くしていた。
(桜庭君のポイントが0……? 学園の序列のトップにいる天城君の隣にいて、どうして……?)
天城リョウという男の底知れなさが、さらに濃い影となってハヤトの心に落ちる。
解決しない疑問を抱えたまま、ハヤトもまた、重い足取りで帰路に就いた。
![[4章] 聖嶺鳳学園の日常 日常Part1後編](https://static.wixstatic.com/media/95a9ed_1eb46b2cbd7b47b990dc9ed209c35d5d~mv2.png/v1/fill/w_980,h_551,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/95a9ed_1eb46b2cbd7b47b990dc9ed209c35d5d~mv2.png)
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